イタリア人は迷信家?
皆さんは迷信や占いを信じますか?
常に冗談の絶えないイタリア人からは縁遠い気もしますが、実は意外と迷信深いイタリア人。日本でお馴染みの黒猫伝説も、黒猫がイタリア人の目の前を横切ると、えらい遠回りをしてまでも、その道を通らなかったり、ましてや誰か他の人が通り過ぎるまで待ったりします!(もちろん人にもよりますが…)
またイタリアでは17の数字は不吉とされ(これにはさまざまな説があり、ローマ数字で17は「XVII」と書き、これを並び替えると「VIXI」(私は生きた)つまり(私は死んでいる)ということになるからだそう)その日は家から出ない、新しいことを始めないなんていう人も!
逆に『最後の晩餐』で13人目がユダだったことから不吉とされる13の数字は、イタリアではラッキーナンバーとされています。イタリア人の人生最大の夢、サッカーの試合を予想する賭けtotocalcio(トトカルチョ)の一等賞が「13」なのです。しかしやはり用心のためか、この数字でテーブルは囲まないという人も多くみられます。
そんな彼らのことをイタリア語でSuperstizioso(迷信的な人)と言いますが、
熱心に周りにも勧めるためか、今だに昔からの様々なジンクスが伝わっています。
その一部をご紹介します。
- 塩をテーブルにこ
- ぼす
- カサを建物内で広げる
- 階段、はしごの下をくぐる
- 修道女が通る
- 鏡を割ると七年間悪いことが起きる
- ベットでお金を数える
- 誕生日の前に祝いの言葉を言われる
- 救急車が通る
どれも、身近にありうることのようですが、彼らには縁起が悪いと忌み嫌う事柄なのです。
さて、そんな事態に遭遇したときの厄除け、厄落としですが、一般的に知られているのが、金属のものに触ること。あるいは、コルネットと呼ばれる唐辛子状のお守りや馬蹄に触ること。これらは幸運を呼ぶとされ、キーホルダーやアクセサリーとしても売られています。金属もお守りもない場合、人差し指と中指を絡めたり、男性は自分の大事なところに手を(角の形を作りながら)やったりもします!
もちろん星占いやタロット占いも非常に盛んで、日々の星占いチェックは怠らず、
初対面なのにいきなり星座を聞かれることも珍しくはありません。
縁起かつぎ、とはお国違えどいろいろありますが、それがまたお国柄ともつながり、とても興味深いものです。
もしあなたの周りに、不可解な動きをしたイタリア人を見かけたら、それはもしかすると、Superstiziosoなのかもしれませんね!
清田菜穂子
イタリア好きが高じて、2007年からパドヴァ在住。Istituto IL MULINOで、日本語教師奮闘中。
SAGRA:ヴェネトのお祭り
イタリアにも新緑の季節がやってきました。さて、初夏の訪れとともに始まるのが、Sagraです。Sagraとは、各地域で行われるお祭りで、それぞれの郷土料理や踊りを楽しむことができます。今回は私の住むヴェネト地方のお祭りをご紹介しましょう。
6月、気候はもう夏に近づいた頃、私の住む町では「Festa di cavallo (馬の祭り)」が始まります。日中は馬のパレードやポニーとの遊び、中世の衣装を身に着けた町の人々のパレードが繰り広げられ、夜は郷土料理を楽しみながら、コンサートやダンス大会が行われます。
いつも驚かされるのは、町の人々の団結力。何せ料理をするのも、パレードを企画実行するのも、ダンス大会もすべて町の人々が行っているのです。数ヶ月前から、何回も集まり、今年はどんな出し物をするのか、誰がどんな役割を担うのか、町会長さんは大忙しです。
でも、みんな生き生き楽しそう。おじいさんやおばあさんが率先して働いているのも印象的です。私が特に楽しみなのは、郷土料理。レストランでは味わえない素朴な家庭の味が楽しめます。私の町の郷土料理として有名なのは、ポレンタ(とうもろこしの粉を練ったもの。主食になります。)、馬肉(ステーキにしたり、サラミにしたり)、バカラ(干し鱈)などです。おなかいっぱい食べて飲んでも1600円くらい。お祭りは10日間続くので、週に何回も食べに行きます。食後は町の人々のダンスです。社交ダンスあり、サルサあり!
遅くまでダンス大会は続けられます。ヴェネト州では6月から10月にかけて、各地域でこのようなお祭りが行われます。それぞれの地域によって料理が違ったり、特徴があって、みんなの夏の楽しみになっています。夏にイタリアへ来られる方は、是非Sagraを探してみてください!イタリアのエネルギーをもらえると思います。
西岡 芳栄
大阪外国語大学イタリア語科卒業後、2003年にイタリア、パドヴァ県に移住。
同県の語学学校 Istituto IL MULINOで、日本語教師、日伊語翻訳をしている。
www.scuolamulino.it
「ヴェネツィアのカーニバル Carnevale di Venezia」
2月のイタリアといえば、カーニバル(Carnevale)。カーニバルといえばヴェネツィア。きらびやかな衣装を纏い
神秘的な仮面をつけた人々が街のあちこちに現れる。そんな風景を見たことのある人も多いでしょう。
それはまさに日常的な世界から離れた夢のような空間です。
そんなヴェネツィアのカーニバルはどのようにして生まれたのでしょうか。
そもそも、カーニバルの起源とは古代ローマ時代の収穫祭とギリシャ神話から伝わる冬から春への季節の移り変わりを祝う祭りが混ざったものだったそうです。春の訪れと大地の実りを祝って人々は動物の頭に模した仮面をかぶった・・・。
これが仮面の起源だといわれています。それが現在のような形になったのがおよそ11世紀。ヴェネツィア共和国元首ヴィタレ・ファイエロが残したカーニバルに関する文書が残っています。
当時のヴェネツィアは共和国でしたが、実際には元首と少数貴族による独裁政治が続いていました。そんな中、反発反乱を防ぐために元首たちが利用したのが、このカーニバルだったのです。
「一年に一度の無礼講。」カーニバルの間は貴族も平民も仮面をつけ、衣装を着、本来の身分を隠すことができました。
こうして、1年に1度だけ身分の違いに関係なく祭りを楽しむカーニバルが生まれたのです。
そして現在も「Durante Carnevale, ogni scherzo vale (カーニバルの間はどんな冗談も許される)」といわれるように、街角でどんないたずらがあなたを待っているかわかりません!
イタリア風物詩:サンレモ音楽祭
イタリアはまだまだ寒い2月。この時期の風物詩といえば、サンレモ音楽祭だ。
毎年、サンレモで行われるこの音楽祭は様々な趣向を凝らして行われ、すべてテレビ放映されるので、日本で言えば紅白歌合戦にあたるようなものだろうか。イタリアの若者はサンレモ音楽祭といえば、「サンレモ?!そんなの見ないよ。」というのが常だが、実は出演者をしっかりチェックしたりしている。毎年1位をとった歌手の歌は大ヒットする。今年の初日の視聴率はなんと47%を記録。毎年いろんな話題を振りまくこの音楽祭、今年の話題の一つはポビアという歌手の歌った「Luca era gay(ルカはゲイだった)」という曲。この曲はルカという青年がゲイだった時代を終えて今は一人の女性を愛しているという内容を歌ったものだが、この詞の内容が同性愛を病気としてとらえていると同性愛者の団体から大きな反感をかった。音楽祭開催前から各局のテレビ番組で論争が繰り広げられ、「さすが、カトリックの国だけあって、こんなに同性愛に対する反感が強いんだ」と思っていたが、音楽祭の初日の舞台である人がやってくれた。その人は、イタリアで知らない人はいないロベルト・ベニーニ。彼は日本では映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の監督として知られているが、イタリアでは映画監督、喜劇俳優、舞台俳優とマルチな活躍をしている。
特別ゲストとして拍手の中で迎えられた彼。いきなり「今日は真面目な話はしたくないんだ・・・」と切り出しながら、すぐに「うっかり」イタリア現首相ベルルスコーニへの痛烈な風刺がはじまる。あくまで「うっかり」いってしまう彼のジョークに会場は大爆笑。司会者も止めることもできずにおろおろしている様子がさらに笑えてしまう。政治に関心が高い国とはいえ、ここまで現役首相をこきおろすなんて、ベニーニにしかできないだろう。さんざん観客を笑わせた後、突然真面目な顔で前述の論争について話し出すベニーニ。「この国には未だ同性愛を神が作られた自然の範疇ではないと言う人がいる。過去に同性愛者たちは拷問の上、殺されてきた。たった一つの理由で。それは、ただ、人を愛したという理由で。愛するということに、性別も人種もない。たった一つの罪とは、無知だ。」
打って変って真剣な眼差しで語るベニーニの言葉に、客席は静まり返った。
最後に同性愛の罪で投獄されたイギリスの詩人オスカー・ワイルドが獄中から恋人に書いた手紙を朗読。会場は静けさの後、拍手喝采が巻き起こった。
表面的なものだった論争を一気に素晴らしい深いものへと変えたベニーニ。サンレモ音楽祭を久しぶりに見てよかったなという気分にさせてくれた。
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